総合格闘家 近藤有己選手インタビュー

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総合格闘技100戦を超える男 不動心 近藤有己

久しぶりの再会だった。20年ぐらい前には、よく一緒に練習をしていたが、10年以上ご無沙汰しており、40代になった近藤有己がどのような男になっているのか楽しみだった。若い時のように、少しシャイな顔をして現れた近藤有己は、以前と変わらず謙虚で礼儀正しく朴訥と話をしてくれた。

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近藤有己(こんどう ゆうき)プロフィール
パンクラスism所属
生年月日 1975年7月11日 
出身地   新潟県長岡市
タイトル
第9代ミドル級キング・オブ・パンクラシスト
第3代ライトヘビー級キング・オブ・パンクラシスト
第8代キング・オブ・パンクラシスト
第5代キング・オブ・パンクラシスト
第2回ネオブラッド・トーナメント優勝
その他多数

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コロナの状況でも

「コロナ禍でどこも大変な状況ですが、今はもう普通に練習を開始しています。横浜の関内の、パンクラスイズム横浜の道場で練習を行なっていますが、ジムの代表がジム内を改良して頂き、すごく練習しやすい環境を提供してくれました。集中して練習も出来ますし、良い気が流れていると思います。素晴らしい空間だと思います。」

格闘技デビューは

「1996年にパンクラス(注1) でデビューさせてもらい、お陰様でこの歳になっても現役を続けさせて頂き、現在では格闘技の試合数も100戦を超えています。現役を長く続けていますが、自分はデビューするまでも時間がかかりました(笑)。

当時のパンクラスは、プロレスの文化を継承していて、相撲部屋の様に新弟子をとって選手を鍛え上げ育てて行く文化でした。厳しい環境の中、リングデビューまで行ける人、耐えられなくてデビュー前にやめてしまう人、様々な新弟子がいました。自分はデビューまで1年以上かかりました。デビュー戦が伊藤崇文選手でしたが、彼はデビューするまで本当に速かったですね。

デビュー後は何故かトントン拍子で、お陰様でデビュー1年ちょっとでタイトルを獲得する事が出来ました。」

注1 ハイブリッドレスリングを掲げた、日本の総合格闘技団体。1993年設立

得意技は

「パンチやキックの打撃技は得意だと思います。他の人には、左フックが見えないと言われたり、前に出る圧力が凄い、とか言われたりしますが(笑)。グラウンド状態での膝蹴りもよく出します。

試合中相手のどこを見ていますか、とよく質問されるのですが、ここだという箇所はないです。うっすらと対戦相手の全体を見ている感じです。観客からは試合中に、ぼーっと考え事をしている様に見えるかもしれません(笑)。前に出る圧力が凄いと言われると、そう言って頂き本当に有難いのですが、自分では全然意識していないので、そうなのかな?という感じでよく分かっていません(笑)。

相手との間合いの取り方とフットワークに関しては、少林寺拳法を昔やっていた事が生きていると思っています。」

思い出に残る試合

「郷野聡寛(注2)さんと戦った3試合はよく覚えています。ベルトをかけて戦ったジョシュ・バーネット戦も思い出深いですね。
郷野聡寛さんと同じGRABAKA所属の菊田早苗(注3)さんとの試合は、本当に凄かったです。(試合日時2003年5月18日)

GRABAKA対パンクラスの頂上決戦のような試合でした。試合会場が横浜文化体育館でしたが、会場の雰囲気が全然違っていて、いつも自分が知っている横浜文化体育館ではなかったですね。お客さんの応援の熱がとにかく凄くて。リング上で試合をしている時も、観客のエネルギーが伝わってきました。盛り上がってくれて本当に有り難かったですね。」

注2GRABAKA所属の総合格闘家。ニックネームは「難攻不落のビッグマウス」 PRIDEでは、踊りやコスプレでの華やかな入場パフォーマンスで人気を博した。

注3GRABAKA主宰の総合格闘家。元ライトヘビー級キング・オブ・パンクラシストADCC 2001 88kg未満級 優勝。

入場テーマ

「青色は大好きですね。デビュー当時から今でも青色のコスチュームに拘っています。

入場テーマ曲は、高橋優さんの『陽はまた昇る』を使わせて頂いています。以前はEnya 『Book of Days 』を使用していました。自分も好きでしたし、ファンに受け入れてもらった曲でした。今でもEnyaの曲を使ってください、とよく言われますね。」

リングネーム

「リングネームは実は何回か変えています。以前、近藤有己から有己空(ゆうきそら)に変えた事があります。夜にふと思いついたのですが、『有己空』という語呂も良いかなと。夜に思いつく事は、だいたい朝になると熱が冷めて冷静になり、つまらない事を考えてしまったと反省したりするじゃないですか。でもこの時ばかりは、朝考え直しても『有己空』というリングネーム悪くないな、と思いまして(笑)。すぐに変更したのですが、またしばらくして、夜にふと、近藤有己に戻した方がいいんじゃないかと思いついて(笑)。そして現在に至っています。」

今後は

「この歳まで格闘技の試合が出来ているのは、今の道場の仲間たちと良い練習をさせてもらっているお陰だと思います。本当にみんなが支えてくれているお陰です。

トレーニング方法も変わってきました。以前ウエイトトレーニングはあまりやらなかったのですが、今はウエイトトレーニングが楽しくて仕方ない(笑)。また練習にクンダリーニ・ヨーガを取り入れてスタミナを強化していたのですが、今はやっていません。でも、また機会を見つけて始めようかと思っています。

いろいろとチャレンジして行きたいですね。

今はもう立ち上げ当時のパンクラスの選手達と、なかなか会う機会はありません。それでもやはり苦楽を共に戦ってきた仲間なので、今でも核心の部分では繋がっていると思っています。また、みんなに会える機会が出来ると良いですね。」

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Mr.Kosei

スポーツをこよなく愛す、謎の格闘家。歌って喋れて戦える、をモットーに日々精進して生活しています。

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