あまり耳にしない言葉ですが、英語音声学者とはどのような仕事、研究をするのでしょうか?
「英語の発音を教えたり、発音を研究する学者です。多くの人は、発音を研究していると言うと、歴史的発音をイメージするのですが、僕の場合は現代英語に絞って、どのように発音されているか、発音を指導するか、を研究しています(ただ、今回の取材では、多少歴史的な話もしていますが)。
なぜ、音声学を専攻するようになったかと言いますと、学生時代に英語の勉強をしていて、発音が人より上手いことに気が付いたことがきっかけです。僕は日本で育ったいわゆる「純JAPANESE」なのですが、ネイティブのような英語の発音が出来ました。そんな僕が日本人に向けた発音指導をすれば、日本人の英語の発音のレベルが向上するだろう、と思いました。それで、英語教師、特に英語の先生を教える英語教師の道を歩み始めました。」
音声を聴いただけて英語が喋れるようになりますか?
「英語を聴く勉強をしていると、聴解力は向上するでしょう。意味を理解できるようにはなるということです。でも、話せるようになる事とは別です。話せるようになるには、口を動かし、声を出す練習が必要です。英語を話すというのは、実技だということです。スポーツや音楽に似ています。相当の練習量が必要です。そうしないと、口は動くようになりません。でも、そんな練習は必要に迫られないとしないものです。だから、外国にいる人は話せるようになるのです。一方、日本で英語力、特に会話力を上げようと思ったら、話さないといけないような環境に身を置くのが早道ということです。」
英語と米語の違いとは?
「歴史と文化の違いが、両言語には反映されています。イギリスは、日本と似ていて古い島国です。国は狭くても、昔は交通手段がないので、人の移動はあまりありませんでした。ある地域に生まれ育った人達は、そのままその場所で一生を終えるということです。それが何世代も繰り返すわけです。そうすると、その地域独特の表現が発達していきます。これが方言です。国が古ければ古いほど、方言の種類は増えます。だから日本には様々な方言があるのです。イギリスも同じです。しかも、古い国では、身分の上下も生まれます。身分の高い人は高い人と、低い人は低い人の付き合いになります。だから、身分による方言も生まれるのです。その結果、イギリスの方言は国の大きさに比べ、多彩なのです。
一方、アメリカは新しい国です。たくさんの移民によってできた国です。人口の移動が激しかったのです。しかも、いろいろな言語を話す人が集まってきたました。だからこそ、共通して理解できる言葉が必要となります。王室やその地で、昔から力を持っていたような貴族もいませんので、身分の差はあまりありません(奴隷制度はありましたが)。その結果、国の大きさのわりに方言が少ないのです。
ちなみに、英米の英語を比べると、アメリカ英語のほうが新しいと思われがちです。でも、実はイギリス英語の方が新しいのです。言語は、本場の都会でどんどん進化していきます。日本語でも流行語の発信基地は、たいてい東京ですよね。英語の場合はロンドンなどの、英国南部が進化の拠点です。
英語での進化は、単語のスペリングと発音を比べるとわかります。例えば、birdという単語。-r-が入っていますよね。これは、このスペリングが成立した時点では、[r]が発音されていたことを意味します。文字は残ります。だから変化せずに昔の形を保存します。一方、音は変化しやすいものです。本家イギリス(イングランド南部)では[r]を発音しなくなったのです。ところがアメリカ英語では、[r]を発音します。古い形を残しているのです。」
オーストラリア英語が訛っているのはなぜ?
「ロンドンなど、イギリス南部の庶民(労働者階級の人々)がオーストラリアに移民しました。だから、その地域の訛り(ロンドン訛りなど)もオーストラリアに伝わったのです。例えば、ロンドンの庶民の発音では
Today『トゥデイ』 を 『トゥダイ』
と発音します。これがオーストラリアに伝わったのです。
一方、アメリカはアイルランドやスコットランドからの移民が多かったのです。アイルランド、スコットランドの発音では、birdの-r-を発音します。これらの地域は、英語の古い発音を残していた地域だったのです。その特徴がアメリカ英語に伝わったのです。
オーストラリア英語とアメリカの英語の発音の違いは、イギリスのどこからの移民が多かったかを表している、というわけです。」
日本人と西洋人のコミュニケーション・スタイルの違いは?
「日本語は、小さなコミュニティの人間関係の中で、発達してきました。島国という他民族の来ない、比較的均質な環境でした。そこでは『話さなくても分かるよね?』という形で会話が進められるようになりました。以心伝心ということです。これは、話を聞いている側が、忖度して理解していくという形でもあります。これが日本語のコミュニケーションのスタイルなのです。
一方、西洋は、言葉を重視します。新約聖書の冒頭部分に「始めに言葉ありき」(つまり「この世は神の言葉から作られた」という意味)という一節があることからもわかります。だから西洋では、言葉を使って相手にわからせる、論理的に相手を説得するというのが、コミュニケーションのスタイルなのです。イギリスも日本同様島国ですが、言語に関する考え方は西洋流です。以心伝心スタイルではありません。
だから、日本人が英語を使う場合、「こんなことは言わなくてもわかるだろう」という考えをしがちです。言葉が足りなくなりがちなのです。でもこれは通用しません。徹底的に論理的に説明しないといけないのです。残念ながら日本の英語教育では、このトレーニングはあまり行われていません。」
日本人が国際人として英語を使っていくうえで意識すべきことは、どのようなことでしょう?
「日本人の英語で足りないものは、『Mind your P’s and Q’s』です。PはPlease、QはThank youを指します。イギリスでは幼児のころから礼儀作法でこのフレーズを叩き込まれます。だから、イギリスでは、『PleaseとThank you』をどれだけ頻繁に使えるかが、大人の嗜み、紳士淑女の嗜みになります。
日本語にも『どうぞ』『ありがとう』というフレーズはありますが、英語ほど使いません。例えば飲食店で、客が店員に注文するときです。日本語では「ビール」だけで済みます。だから日本人英語でも、“Beer.”だけで終わってしまいます。でも英語では、”Beer, please.”とすべきなのです。また、店で買い物をすると、店員がThank you.と言います。それに対して、日本人客は無言で終わりです。でも客の側もThank you.と答えるのが英語です。」
英語には敬語がない、と言われることがありますが?
「そんなことはありません。英語にも敬語にあたるものはあります。特にイギリスは、丁寧さを非常に求められる国ですので、敬語に当たる表現は極めて重要です。それは上述の『Mind your P’s and Q’s』にもかかわります。
敬語にあたる言い方の一例は、単語の数です。英語では、単語が多いほど丁寧と受け取られます。また、遠回しな言い方も丁寧さを表します。
例えば、上司が部下に「コピー取ってくれ」と頼むとしましょう。Make a copy.と言えばよさそうです。でも、このままでは英語としては、非常に粗野です。たとえ上司から部下への表現でも、失礼な言い方になってしまいます。
そこで、pleaseを加えて、『Please do it.』とします。1語足したことで、最低限の丁寧さが表現されます。
これを『Can you do it, please?』にすれば、丁寧さが増します。
さらに『Could you do it, please?』のように過去形のcouldを使えば、なお丁寧になります。この場合の過去形は、仮定法というものです。実際の時間から離れた過去形にすることで、遠回しに表現になります。それで丁寧さが表現できるのです。
ところで、英米の英語を比べると、丁寧な言い方、複雑な言い方を好むのはイギリス英語です。アメリカ英語では、比較的単純な言い方が好まれます。既述のように、イギリスは小さい島国であり、階級社会でもあります。かなり微妙な人間関係で成り立っている社会なのです。その結果、言語も丁寧な表現、相手の様子をうかがう微妙な表現が求められるのです。一方、アメリカは新しい移民の国です。もともと人々の言語も文化的な背景も多種多様でした。そのため、分かりやすくストレートな表現を使う必要があったのです。」
今後の日本人に求められることは?
「今や日本には、多数の外国人が、仕事や旅行で来たり居住したりする時代です。いろいろな国の言語や文化に触れる機会が増えてきています。その中で英語を学ぶということは、国際語を学ぶということです。英米人にしか通じない英語を学ぶのではなく、もちろん日本人にしか通じない英語を学ぶのでもありません。世界の人と通じ合える英語を学ぶ必要があるのです。
今、英語は小学校でも教えられています。でも、そこで教えられている英語は、英語らしさがあまり感じられないものであったりします。あまりにひどい日本人訛りの英語では、日本人にしか通じません。でも、子どもたちには、将来、世界で活躍してほしいからこそ、英語を学ばせているはずですよね。そんな子どもたちには、世界のどこに行っても通用する英語を教えることが必要です。そのためには、発音をおろそかにしてはいけません。また、Mind your P’s and Q’s.もおろそかにしてはいけません。相手にわかりやすい英語、しかも丁寧な英語を使えるということは、相手を大切にするということ、相手を敬うということなのです。英語を学ぶということは、そういうことを学ぶことでもあるのです。
小川 直樹 プロフィール
株式会社ハート・トゥ・ハート・コミュニケーションズ代表取締役。英語音声学者、コミュニケーション向上コンサルタント。元大学教授。津田塾大学非常勤講師(音声学)、よみうりカルチャー講師。太極拳インストラクター。
2013年に、自ら研究してきたものを普及させるため、大学教授を辞し、株式会社ハート・トゥ・ハート・コミュニケーションズ(http://www.hth-c.net/)を設立。日本人の、英語と日本語のコミュニケーション力の向上を目指し活躍している。
代表著書
- 『イギリス英語発音教本』(研究社)
- 『英語の発音 直前6時間の技術』(アルク)
- 『人前で話すための 聞いてもらう技術』(サンマーク出版)など多数