【インタビュー】Fリーグ立川・府中アスレティックFC 完山徹一選手

  1. ライフスタイル

フットサルは約、縦40 M × 横20Mの中の肉弾戦だ。

2007年に日本フットサルリーグ(Fリーグ)が発足し、13シーズンが経つ。

その中で、常に日本のトッププレイヤーとして身体を張り続けて来た男が、立川・府中アスレティックFCに所属している「完山徹一(かんやま てついち)」だ。40歳を過ぎた今でもピッチに立ち続け、技術を追い求める姿に心を奪われる。3月の暖かい平日、練習場として使用しているミズノフットサルプラザ味の素スタジアムに完山選手を訪ねた。

フットサルとの出会い。

「元々はサッカーをやっていました。住んでいた所が鳥取という日本海側で、また雪も多い地域なので、冬のシーズンなどでは、体育館や室内でサッカーを行うことが普通でした。自然とフットサルの出来る環境になっていました。また、フットサルにも日本代表がある、ということ知り、それならば代表を目指してみようと。」

サッカーとの違い。

「まずシンプルにコートの狭さですね。縦40M横20Mで、サッカーのペナルティエリアをちょっと広くしたイメージです。すぐにシュート、ゴールに結び付く展開が早いスポーツです。サッカーだと、ディフェンスライン、中盤のライン、フォワードとあるのですが、そこをフットサルの場合は省力するプレーも多く非常にコンパクトです。ゴールに結びつきやすいので、観ていて楽しいスポーツだと思います。

サッカーと違う細かいテクニックもあります。ボールを蹴るのに、足の裏をよく使いコントールするのも特徴の一つです。コンタクトはかなり激しいです。スペースが狭いのでセットプレーの緻密さ、パターンプレー、サインプレーなどもサッカーとちょっと違うと思います。」

Fリーグ13シーズン目。

「24歳の時に鳥取から府中に出てきて、その3年後にFリーグが出来、運よく流れに乗れた感じです。2019/2020年シーズンはFリーグ7位ということで前年度3位から順位を落としてしまいましたが、要因は色々ありました。

一つは、世代交代で経験のある選手達が引退してしまい、ある程度経験の浅い選手を起用しなければならなくなった。クラブとしてのチャレンジした結果だったのですが、良い試合が出来ている中で、接戦をモノに出来ないケースが多かったですね。前半はチーム状態が良いのですが後半に崩れてしまったり、波に乗れないシーズンでした。順位は落ちて結果としては満足していないのですが、次につながるシーズンだったと思います。」

今年初めて、リーグ戦での得失点差がマイナス。

「数字をだけ見てしまうと、非常に残念な結果です。リーグ戦のゲームをなかなかコントロール出来ていなかった事も原因の一つだと思います。主力も軒並み怪我で離脱してしまい、メンバー登録も厳しく、14人のメンバー登録が出来るところ、10人でしかメンバーが組めない、という試合もありました。リーグ戦は33試合あるのですが、毎週試合がありますし、トップのリーグなので試合の強度も非常に高い試合が続きます。怪我人が増えると練習の強度も限られてくるので、いいトレーニングから良いゲームに、という流れにシーズン中はなかなか結び付けられなかったですね。また、移籍マーケットの関係上シーズン途中での選手補充は難しい状況でした。」

トレーニング。

「シーズンを通してしっかりトレーニングは積みます。オフの時もウエイト系が中心になりますが、欠かさずしっかりと練習しています。身体が大きくてもスピードもあるラグビーやアメフトと競技性は違いますが、フットサルも非常に激しいコンタクトスポーツなので、筋肉を付ける事は意識はしています。」

プロ選手として。

「フットサルはまだまだプロ契約選手が少ないのが現状です。プロとして個人で管理しなければいけない面もあります。私自身は個人的なトレーナーと契約をして身体の管理もしています。実は、京都まで通っていますよ。有名なトレーナーなので、他の競技のプレイヤーに会うこともありますし、話す機会もありますので刺激は受けますね。自分の競技だけでは狭い世界ですし、スポーツ全般、またスポーツ以外からも色々とヒントを受ける機会になっています。そういう機会は非常に大切にしています。トレーニング方法を聞いたり、試合や練習に臨む姿勢だったり、また人柄を知る事も大変参考になります。

怪我の予防。

「トレーニング、栄養、休養とのバランスを大切にしています。まずトレーニングをしっかりする事で怪我の予防につながりますし、なるべくシーズン中にもゲームに影響が出ないレベルで、トレーニングの強度を落とさないようにしています。遠征では、リカバリーのため良い睡眠を取らなければいけないので、自分のマットレスと枕を持参します。」

憧れはマラドーナ。

「リアルタイムでは見ていないのですが、サッカーを始めた時には、毎日ビデオで食い入るように見ていました。今でもよく見ていますよ。マラドーナと同じ左利きなので、彼のようなプレイヤーになりたいな、と今でも思っています。彼のプレーを見ているだけで、ワクワクする感情が湧いてきますし、今でも最高のプレイヤーだと思っています。」

来シーズンの展望。

「毎年優勝を大きな目標としています。今季は33試合でしたが、来季は22試合に減りますので、1試合の重要度が高まります。今季のメンバーも移籍せずに残りますし、来季の始動する頃には怪我人も戻ってくるので、フルメンバー、ベストメンバーで挑めると思います。今季の7位から最低限でも3位以内に入って行きたいですね。今シーズンは大怪我をする選手が多かったのですが、その中でも僕自身、怪我なくシーズンを通してプレー出来たのは良かったと思っています。

アスレのファンには今季は残念な思いをさせたので、来季は優勝したいですね。三つのタイトルの一つでもとってファンの皆さんと喜びたいです。」

座右の銘

「あまり言葉にして考えた事はないのですが、『日々情熱を持って取り組む』ですかね(笑)。その時々で自分の持っている感情が違うので、あまり言葉として持たないようにしています。響く言葉、良い言葉はありますが、そこに頼る事はしないようにしています。昔は、験担ぎもしていましたが今はしていません。キャリアを積んでくるうちに、しなくなりました。余分なものを削ぎ落として、普段の日々の取り組みと、情熱を持ってやることを大事にしています。」

今後のキャリア。

「慌てたりとか緊張したりする事は無くなってきました。トレーニングをしっかり組んでやりきる事、技術の追求を目指す事、色々な角度から練習していく事、競争の中に身を置くことにより、精神的に成長させてもらっています。

同期もみんな引退していて、コーチ、スタッフも僕より年齢が若い人が増えて来ているので、一選手としての垣根を超えて、色々な角度からコミュニケーショを取るように心掛けています。ベテランになっても、なかなか答えが見つからないのですが、その中で高い目標も持つように心掛けています。

日本代表の夢も諦めていないですし、アジアのクラブNo.1になりたいとか、いつも目標を高い所に置いています。一歩でも半歩でも前進する。簡単には選手としてこの競技を手放せない。もし今、辞めろ、と言われたらどうなってしまうのか。。誰かのためでない、自分のために達成できたら良いなと思っています。」

 

 

完山徹一プロフィール

生年月日 1979年12月8日(40歳)

出身地  鳥取県

経歴 2007年 名古屋オーシャンズ

   2011年 府中アスレティックFC

      2013年 バルドラール浦安

   2015年 府中アスレティックFC

      2018年 立川・府中アスレティックFC

エル・マタドールの異名を持つレフティ。そのテクニックはもちろんゴールを正確に射抜く左足はFリーグでも屈指の選手である。勝利だけでなく、一瞬の閃きで魅せるプレーを信条としており、ファンを驚かせ楽しませる事を常に意識している。

 

 

Mr.Kosei

スポーツをこよなく愛す、謎の格闘家。歌って喋れて戦える、をモットーに日々精進して生活しています。

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